みなべと掌について | 松本 貢

みなべと掌について

江戸時代中期から現在までの300年間、和歌山県の自然豊かな山々では、絶えることなく紀州備長炭の火が燃え続けています。紀州備長炭が誕生して間もない頃からその名は日本国中に知れ渡り、その後多くの国民に愛され続け、今では世界最高品質の高級木炭と呼ばれるまでに成長しました。しかしながらそれを影で支え、最も苦労されてきた製炭士や、貴重な原木を提供してくれえる自然の恵みに対しては、目を向け注目してくれる一般消費者は少なく、残念ながら生産地の現状はこれまで関係者以外、誰に知られることも無くベールに包まれて来ました。こうした状況が続く中、みなべ町でも最近までは社会的評価が認められないこの産業に対して若者達は関心を示そうとせず、技術を継承する後継者も育たず、製炭者の高齢化は進む一方で、日本を代表とする古来伝統産業は存亡の危機に直面していたのです。

しかしながら紀州備長炭は見捨てられることはありませんでした。忘れることの出来ない1999年夏、みなべ町に突如として救世主が現れたのです。それが「掌」でした。掌は、我々が生産する紀州備長炭を、単なる燃料としての消耗品として捕らえるのではなく、全く新しい次元で紀州備長炭の可能性を想像し、その魅力を最大限に引き出してくれました。しかも評価すべき点は、これまで注目されることのなかった生産地にも眼を向けられ、定期的にスタッフ全員が現地みなべに研修のため何度もお越し頂いたことです。この研修では、毎回のように製炭者と向かい合い、本音で語り、窯出しを始め、うばめがし等の原木林山を共に歩き、貴重な体験を通し、その全貌を全身で感じ取ってくれました。

これまでにも紀州備長炭の取り扱い業者は数多くありましたが、これほどまでに紀州備長炭を愛し、我々生産地の現状や将来を共に考えてくださる仲間は他にありませんでした。掌が誕生以来10年間、我々に示し続けてくれた誠心誠意は、地元みなべ町の製炭者の間にも深く浸透し、次第に支援してくださる仲間も増えてきました。しかもこうした掌効果は町内外にも広まり、紀州備長炭に新たな可能性を感じ取った若者が後を追う様に後継者として参入し始めたのです。このような現象を当初誰が予想できたでしょうか。正に掌はこの10年の間に、紀州備長炭の歴史に名を残す存在となったのです。
私たちは今、本物の仲間に出会え、共にこの時代、この時間を共有できる事に感謝しています。そして我々みなべ町は、これからも「掌」と一心同体となり、物質資本社会から本物共存社会へ移行しようとする新たな時代の転換期を、期待と希望を持って共に迎えたいと念願しています。

最後に紀州備長炭を我が子のように愛してくれる掌のスタッフの皆さん、そしていつも掌を利用していただいている全てのお客様に心より感謝します。ありがとうございます。
これからも末永くみなべ町の自然の恵みが生み出した紀州備長炭をご愛用下さい。

2009年2月12日

松本 貢(まつもと みつぐ)
みなべ川森林組合参事
本業である山を育てる業務「植林や間伐」を行う一方、地域特産品「紀州備長炭」の振興に貢献するため、原木林育成や生産者への支援活動、また情報の提供や地元産備長炭の販売などに携わっている。